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ワゴンの地位を確立したスバルの代表モデル [レガシィ]

“ワゴンといえばレガシィ”と言われるほど、レガシィ=ステーションワゴンというイメージは強い。それもそのはず、商用バンに毛が生えた程度のクルマが多かったステーションワゴンを、一躍メジャーなカテゴリーにまで押し上げたのだから。要するに、ステーションワゴンというジャンルを確立させたパイオニアなのである。

そんなレガシィは、平成元年に初代がデビュー。それまでのレオーネの後継モデルとして、伝統の水平対向エンジンを搭載し、早い時期からモータースポーツでも活躍していた。

その後は平成5年に2代目が、平成10年に3代目がデビュー。そしてセダンには「B4」のペットネームが与えられた。そして記憶にも新しい4代目が、平成15年に登場した。

なおクロスオーバーモデルは、2代目で登場したグランドワゴンから平成9年にはランカスターへ改名。さらに、4代目へモデルチェンジしたのを機に、世界統一名称のアウトバックへ変更された。

5代目となる新型でも、ツーリングワゴンとセダンのB4、ワゴンとSUVのクロスオーバーモデル、アウトバックの3車種をラインアップする。今回は、デザイン部リードデザイナーの磯村氏と、内装設計部主査の只木氏に話を聞いた。

続きはこちらから→ワゴンの地位を確立したスバルの代表モデル

スバル レガシィツーリングワゴン [レガシィ]

初代レガシィが発表されたのは、平成元年のこと。まさにバブル経済の絶頂期で、若者は夜の六本木で遊び、ベンツ、BMWはもとより、フェラーリやロールス・ロイスが飛ぶように売れた時代だ。

レガシィの登場も時代を反映して、それなりに派手なものであった。
初代レガシィは、FIA規定の最高速チャレンジで10万km走行平均時速の世界記録を更新(このほかにも10km、10マイル、24時間、5000km、2万5000km、2万5000マイル、5万㎞、5万マイルの8カテゴリーの記録も更新している)して、デビューを果たした。しかし、この記録はすべてセダンで作られたものであった。

今ではレガシィと言えばワゴンの代名詞になっているが、当時スバルが主力と考えていたのはセダンで、事実当初の販売台数はセダンのほうが多い。

ワゴンの人気は、発売後徐々に高まることになる。その大きな理由は、レガシィには商用バンが存在していなかったことにある。

現在では珍しいことではないが、当時としては画期的な手法であった。 レガシィ ワゴンが売れたのはシャシーをバンと共用する必要がなかったため、乗り心地やハンドリングが圧倒的に優れていたのがひとつの理由。また、ラインアップにバンが存在しないにもかかわらず、そのユーティリティ容量はバン並みの広大さを誇ったのも大きなセールスポイントであった。

やがて、レガシィはワゴンがメインの車種となり成長していき、国産ワゴンの代名詞的存在となる。




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